(MLコミュへの投稿を転載しています)
 
ハルです。みなさんいろいろありがとうございます!

とり急ぎ、想いがまとめきれないまま、こころはあの海を漕ぎながら、報告を踏まえたお願いです!

乱文、長文失礼します!(こんな文でよければ転送なんでもオーケーです!)


9月10日より12日まで3日間カヤックで阻止行動に参加してきました。

きのうは中電側も休みを取ったので、祝島のお父さん、お母さんたちも島で休まれたかと思います。

ぼくらカヤック隊も現地の原くんところで休みを兼ねてこれからの話をしましたが、さすがに疲れが出ました。

海にいるときは気合いも入り、力も湧いてくるのですが、初日のかんかん照りと、3日目の雨が応えているのだと思います。

そんなぼくらみたいなまだまだ若造?も疲れがあるのだから祝島のお父さんやお母さんたち(ほとんどが60後半から70代のように思います)はさぞかしお疲れも出てることだ、と思います。

さすがに漁や日々の暮らしでの鍛え方や、27年間の反対運動での修羅場で養われた精神力はぼくらとは比べ物にはならないでしょうが、それでもやはり心配です。

50代でも島では若い人と呼ばれていますが、この人たちがお母さんたち女衆を船に乗せて中電の警戒船に向かって獅子奮迅の活躍をします。

お母さんたちは陸上でも、そして海上でも拡声器を手にあらん限り中電社員に訴え続けます。


「わたしら漁師は海を売った憶えはない!海を壊したらわたしらは生きていけないんです!」

「原発がそんなにいいもんなら、どうぞあんたのところの本社がある広島に持って帰りなさい!そして広島の人に聞いてみなさい!」

「そんなにいいもんなら、どうしてお金を出すんですか?本当にいいものならお金はもらわんでも建てさせてあげます。あんたらは嘘ばっかりじゃないですか!恥をしりなさい!」

「27年間のわたしらの苦しみはあんたらにはわからんでしょう!わたしらはそんな悪いものはいりません!持って帰ってください!」

「あなたたちは上関住民です、言うたけど、海を壊して原発を建てるために一時的に住んでるだけでしょう!そんなあなたたちが安全だとか、海は汚れませんとか、魚は減りません、とか言っても移動や定年になったらどこか他に行くんでしょう? わたしらは死ぬまでここで暮らすんです。この海があるから暮らしていけるんです。だからなにも要りませんと、ここで暮らすわたしらが言うんです。」


・・・・書き出したらキリがないですが、お母さんたちの言葉は聞きながら何度も涙があふれました。


中電の副所長や社員の言葉は、パンフレットやコマーシャルで言うような子どもだましの原発の宣伝文句を並べ立て、原発の雇用で他所に行った子どもたちが帰って来るとか、27年間何も知らされず、無知や偏った知識しか祝島の人がないかのような、そんな見下した言い方にしか聞こえない内容を並び立て、そして工事の開始協力を懇切丁寧にお願いする。

そんな形式を1時間おきに繰り返す。

それはさも仕事としてマニュアル的にやっているとしか見えません。

あたかも中電のチャーター船に乗り込んだ、とても中立公正に報道するようには見えない多くのマスコミのカメラを意識するかのように。

それはカヤックで近くで見ていても恥ずかしさを通り越して腹立たしいまでに、そのパフォーマンスを現場にいる祝島の人たちではなく、テレビのニュースで見ている人に向けて、そんな何も知らない人やいままでもテレビでしか見ていない人の目に、”丁寧にお願いを繰り返す中電と、それを過激に阻止する反対派”、と映って欲しいのだろう、と見え見えでした。

もちろんそんな言葉はこころに何も響きません。

でも最初は祝島の人たちが言わない限りはだまって無視しようと思った自分のこころはかき乱しました(笑)。


「まだ原発建設許可はおろか申請すらしていないのに、何故埋め立てを急ぐのか!」

「温暖化に貢献する原発なら、放射能のリスクはどうなのか!」

「その出される温排水は温暖化と環境汚染を加速するではないか!」

「あなたたち社員は原子炉内部の仕事に従事するのか!作業させるのは皆下請け労働者じゃないか!そこで彼らは被曝しているではないか!被曝の上にしか成り立たないのが原発ではないか!」

「もうすぐ東海村JCOでの臨界被曝事故で下請け作業員が死んで、そして近隣の住民たちが被曝してから10年が来るけれど、わたしはその近くで住んでいて、子どもを被曝させてしまったのではないか、と泣きながら話すお母さんに直接会ったことがあります。この臨界事故について、同じ原子力政策を推進する立場の責任ある者として、これについてどう思うか!臨界被曝、JCO事故についてしっかり答えろ!」


・・・時に、力の限り中電の船の目の前で、御用マスコミの前で大きく叫びましたが、彼らは、このような質問には何も言いません。それは無視してる、と言うより何も応えられない、言葉が出ない、という感じです。

自分で言うのもなんですが、ほんとうにこころの底から出る言葉は力がある、と感じました。


また、さも自分たち中電はあなたたちのことは判ってるんだ、と言わんばかりに、行動に参加する祝島の漁師のお父さんたち一人一人の名前をあげ、説得するふりをして明らかに圧力をかけていたと思うのですが、舫をとった船の上、初日、2日目と何も言わず黙って悠然と構えていた親父さんたちが、さすがに3日目のお昼過ぎ、同じような言い方で漁船団近くで言い始めた中電の社員たちを前に立ち上がり、


「あんたたちの中にも帰りたい人もいるじゃろう?だと?そんな気持ちでここに来とる人間は一人もおらん!そんな気持ちなら最初から来とらん!わしらの27年間をどう思ちょるんか!どういうつもりで言うちょるんか!わしらをバカにしちょるんか?黙って聞いておれば勝手なことばかり言いおって!  ここへ来て謝れ!」


と、マイクも拡声器のない船の上からあらんかぎりの大声で一喝したこともありました。

もちろん彼らは何も言い返す事もできません。

原稿を読むかのように同じような言葉を繰り返したり、泣き落とし的な言葉を並べたり、丁寧な言葉で応対しているつもりでしょうが、本当に自分自身の心から出された祝島の人たちの言葉とはくらべものにならないロボットのような言葉には力も何もありません。

その上、ところどころに人を見下すかのような横柄な姿勢が垣間出るのを祝島の人たちはしっかり、じっと見ています。

そこかしこに、祝島の漁師さんやお母さんたちから人間としての誇りや尊厳、それらを歴然と感じさせてもらい、同じ海の上に居させてもらう事をとてもありがたく思いました。


陸上からの祝島のお母さんたちの言葉や各地から駆けつけた人たちからのエールや言葉は海にいて心強かったです。


「祝島のお父さん、がんばれー!」

「祝島のお母さん、がんばれー!」


などの声援は、お父さんたち、お母さんたちの励みだけではなく、ぼくらの心にも大きな勇気を与えてくれました。

そして、その声は中電の社員たちにはじわじわと効いていたはずです。

現地の状況は、その一見中立に見える報道を見ても、あくまで祝島の反対と中電の対立、という図式にしたいのでしょう。

他の地元の反対する人や、駆けつけたぼくらカヤッカー含め県外からも反対の声をあげ、埋め立て、建設阻止をしよう、という想いやその現実を見せたくないのは明らかです。

それは逆に考えると、いま祝島、上関町以外の山口県や県外から反対の声が広く大きくなるのを嫌がっている、そうなればやりにくい、と思ってる事の裏返しだということです。

だから、なんとしてでもいま、なにがなんでもやってしまいたい、とかなり焦っているのだと思います。


ちょうど、選挙前の自民党のように、いま無党派が大きく動き出されればマズい。その前に、いろんな重要法案を通そうとした、そんな空気に似ています。

なので、もちろん現地に行って海上行動はもちろん、陸上行動に参加出来る人は、すごくありがたいですし、出来るだけたくさん行っていただきたいと思うのですが、でも行けなくてもこの、いまここで起っていることを一人でも多くの人に伝えて、そして直接、山口県庁や、中電や、議員たち、そして現地に声を届ける。


これは今すごく!力になると思います!


それぞれの心から湧き出る想いをストレートにメールやFAXやもちろん電話でも直接届ける事は、きっと大きな大きな力になると信じます。


なので、みなさんぜひ、どうぞよろしくお願いします!



ハル 拝


*今日も中止になってうれしいです!冨田たかくんのブログでの報告ありがたいです。初カヤックおつかれさま!
ありがとう!
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/
 
 

 
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